人気ブログランキング |

Good Enoughという発想の妙

CDプレーヤー DP-750を導入してかれこれ1年経った。

気がつけば、、、というのが正直なところで、そういえば1年しかまだ経っていない。電源を入れてから本調子になるまでの時間が激減、スピーカーからの音離れが向上したのは750本体のエージングが進んだからと勝手に解釈している。


高音質のディスクを再生させるとわざとオフセンターで聴いても部屋中に音がよくあふれ響き渡るし、同時にオフセンター鑑賞時にはサウンドステージもそれに合わせて斜めに「強固に」浮かび上がる。プレーヤー自体の動作も大変安定している。ディスクによっては回転音が大きくなる場合があるが気にならない。当然音質も程良く気に入っている。


そしてなによりも「アキュフェーズだから大丈夫。万が一何か起こっても最善な対応への期待を裏切らない」という安心感がどれほど日々の音楽鑑賞に影響を与え続けているか、はかり知れない。「アキュフェーズを買うこととは安心を買うこと」とよく言われるが、年齢も上がってきて保守的になってくると、本当に実感として「手持ちのオーディオ機器の安定感」が最重要になってくる。


とは言いながらも、、、

750導入後、こりずに、愚かにも、気になり続けていたのはエソテリックK-03シリーズ(現行はK-03Xs)で、かつて試聴機の回転音問題がなければセカンド機として自室に置かれていただろう。だが導入に進む勇気は、、、。機器への安心感は音楽鑑賞に無類のくつろぎを与えるという事実を知ってしまってからは、動作不安には、いくら好ましい音質であっても、超過敏である。


懇意の販売店でよく試聴するエソテリックプレーヤーの音は毎度聴いても大変好ましいのに、この音は必要だと毎度感じるのに、それでも買わない自分がなんともいじらしい。まるでスーパーマーケットの入り口に置かれてあるガチャポンの前でやるかやるまいかと必死に悩んでいる子どものようだ。(笑)



ところで最近、生産者と消費者という点からオーディオ趣味を考えてみた。


このブログ(リンク)で書かれてある内容にとても共感したのが事のはじまり。GoodEnoughという考え方こそ世界を制覇した生産者的人種のパースペクティブであろう。ベストこそ重要とする日本人にはとても少ない捉え方にもおおいに同意できる。


オーディオ趣味とは「生音再現は不可能」と重々知りながらも、ベストを求めて散財し続ける道楽であり、おそらく消費者が「自身の才覚や努力」ではなく「財を費やすだけ」で生産者側に立ちたいという愚かしい欲求が原点にあるのではないか。


オーディオは機械を買うという消費行為から始まるのだが、それは「自分の最も好ましい音を作り上げてゆくという生産者」になるための消費行為であって、決して消費者のままで終わらない。ただ問題は「自分の音を作り上げる生産者」になっても、その生産物を売る(自分以外の消費者を見つける)のが極めて困難である。まあ、ジャズ喫茶などは「マスターの好きな音を売りつける」という商売であるが、それでも趣味で自室に引きこもってマイワールドだけの好き勝手にやるのとは違う。


オーディオ趣味でも常にGoodEnoughであり続けないと散財するだけでは済まされない。迷走し最後には我も失う。誰かのための音を自室で作り上げ散財するなんて愚の骨頂である。誰々が自室に来るからという「愚かしい意識」がBestを強要するのは火を見るよりも明らか。それだけは避けなければならない。大変嫉妬深く、出る杭は打たれる文化の日本では大半が泥沼化するオーディオ趣味である。


自分の音、自分が良いと思える音がただ鳴れば良いのだ。

雑誌も人の意見も無関係。自分自身との対話だけで進めるのみ。

マイBestではなくマイGoodEnoughで。


ステレオサウンドは常に「鳴らさないように、鳴らし切らないように、絶えず満足の一歩手前」であるようコントロールし続けるのが最重要ポイントだろう。一歩手前をキープし続けないと、キリがない。足らない足らないの負のスパイラルの煉獄から抜け出せなくなる。


同時に、最大の問題は「一歩手前」が極めて困難な趣味、それがオーディオだということである。


by bachcantata | 2019-09-10 07:33 | 自己紹介・他