B&W805d3だけを鳴らす逆戻りオーディオ mcintosh.exblog.jp

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Mcintosh XRT後は、ソナスファベール・アマティとガルネリを使い分けてイタリアの風を吹かしていた。現在はB&W805d3だけを極めてお気軽に鳴らす逆戻りレコード演奏家


by bachcantata
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情報量=高音質の落とし穴


DP−750で音楽を聴いている。
こんなにゆったりと聴き続けるなんて何年ぶりだろうか。

音楽を聴くことが圧倒的に楽しくなった。

当然といえば当然だが、10万円クラスのDACとPCの再生では805d3には荷が勝ちすぎたのだろう。とくにマズかったのはプリアンプをC−3850と奢ってしまったところであろう。最上流のDAC音質をそのまま素直に出し過ぎてしまったのだ。
とはいえ、最上流にここまで金額を費やさなければならないとは、「オーディオ音楽」とは全く困った趣味である。

前回の自宅試聴機では主にDP−750本体の動作状況を中心にチェックするのが精一杯だったが、導入した今、じっくりとDP−750の音について述べたい。

最高機種であるDC−950を自宅試聴した際にも感じたが、DP−750は事前暖気が大切である。高級オーディオユーザー達では常識だが、我がミニコンポ(DP−750・C−3850・P−7300・805d3の4点セットの事)は電源を入れてすぐに良い音で音楽を聴くことができない。これも困ったことであるが、暖機運転という名目で、少なくとも音楽を聴き始める2時間前には電源を入れておく必要がある。

ま、DP−750も導入したばかりなので、エージングが進めば、暖気にかかる時間も多少少なくなって欲しいが、今のところ(導入直後)は、電源を入れたばかりの音を20%とすると4時間、いや5時間経った音は120%くらいの差があることだけ明記しておきたい。

音の傾向だが、

1、しなやか(この部分は前機種DP-720の延長線上)であることこの上ない。音がとても柔らかい。正直PC再生で全く聴けなかったCDをほとんど全てを全曲通して聴き終えることができるほどの「上質なシルクタッチ」で上品な音質である。この極めて柔らかくしなやかな音が心地よいのである。もっともこの柔らかさは好き嫌いの差が大きく出る部分だろう。

2、中域が充実しかつピラミッド型のサウンドで、線は細くない。DP−720は線が細かった。それはそれで好ましかったが、DP−750になり中低域の量感がふえたことで、より聴きごたえある充実した音質に変化した。

3、男性的でエネルギッシュな鳴りっぷり。真面目ですこし繊細で女性的なサウンドだったDP-720と比べると相当な変化である。設計者の世代交代のなせるワザなのか、実に好ましい変化である。この辺りは新製品純A級パワーアンプA−75も同傾向の音作りのように感じる。

4、DC−950までではないが、DP−750はスピーカーの後方はるか遠くにサウンドステージが広がる。そこから音が前に広がってくる。950よりも元気である。950の方がよりしなやかで静かさがあったが、その辺りは一体型としてDP−750は必要以上!?の静かさよりもハツラツさエネルギッシュさをより多く表現できていよう。逆を言えば、950では必要以上の静けさの表現がなされる故に只者ではない凄みが溢れてくるわけだが(笑)。

5、DSDディスクの再生音も素晴らしい。PCレスだとやはりPCノイズから解放されるだけ滑らかさと音のつながりが美しい。ただしDSDディスクだと一曲ずつ先頭と末尾に「カチッ」というDACのロックだろうか、音がする。
例えばDSDディスク内に15曲ある場合は「カチッ」という音を30回聴くことになる。音楽再生中ではないので鑑賞の邪魔にはならないが。


6、情報量をひけらかす再生音ではない。情報量だけならOPPO SonicaDACやTEAC UD−505/NT−505などの10万クラスUSB DACの方がはるかに高い。
それならば、なにが違うのか。それは音の組み立て方(味付け方)の差だろう。
上記の10万円クラス(一般!?なら十分に高価)なら情報量を多く出すことが第一目標なので、特に良い性能のアンプと組み合わせると情報量過多になる。つまり

「細かい音が出力され過ぎる」
ので、音が前後に広がらず平面的に横並びし、聴くポイントが見つけられないので、聴き疲れを起こさせる。

例えば、ヴォーカルなら、人の声を中心としてバンドがそれを引き立てるのが当然なのだが、情報量だけを高めると、バックのギターやパーカッションなどもメインヴォーカル(人の声)と「同じ音量」「同じエネルギー量」で聴こえてくる。これだと、ごちゃごちゃで、なにがなんだが分からなくなるし、同時に情報量があふれているので、勝手に全ての音を聴こうと考え始め、まもなく聴き疲れて、音楽自体が面白くなくなり、最後には聴かなくなってしまうわけだ。

Fidelix Capriceを除けば、SonicaDACであれ、UD−505であれ、音質は悪くなく、情報量もすこぶる高いのに、使えば使うほど、なぜか音楽を聴かなくなっていった。高価なアンプを備えたのに「よし聴こう!」とならない。問題はアンプでもスピーカーでもない。今思えば、非常にわかりやすく素直な感じ方であった。安価なDACでは音楽鑑賞が面白くなかった。全て音をきちんと平等に対等に出力するような鳴らし方しか出来ない安価なDACでは満足できなかった。ま、これも贅沢病なのだろう。

当然ながら、たった一曲すら聴き終えることがなかった。曲頭をちょっと再生すると、面白くない、続きを聞きたいとは思えず、すぐに別の曲を再生する。この繰り返し。最後は「ながら聴き」でBGM的に流し聴きとなって、電源を切る、そのようなオーディオライフだった。

もちろん一枚のアルバムを全曲通して聴き終えたことなど安価なDAC利用時には一度もなかった。この時点で変に思わなければいけなかったのに、聴き疲れると無意識にCapriceへ切り替えて聴いていたので、安い音による弊害がうやむやになっていたのだ。

この部分が根本から変化した。DP−750導入以降、まず音楽を聴きたくなった。これだけでも充分良好な気持ちの変化だが、ひとたび曲が再生すると、
最後まで聴き続けようと「努力」せずとも、
楽に、自然体のままで、
最後まで全曲すべて聴き通せる状態に、
ようやく、やっと!
到達した。

明らかに聴きやすくなったというなによりの証拠である。それは上質な「音の間引き」「コントロール」がなされているお陰である。


悲しいかな、カンニングオーディオは叶わなかった。皮肉にもオーディオ機器も価格なりである。下克上も、ある意味では可能であるが、なかなかなし得ない。


音だけに集中しては、すぐに疲れる。
音楽を聴かないと本末転倒である。
しかしオーディオファイルの性(サガ)として、音も音楽も両方とも上質を求める。
安価な機械は音楽性あるものが多い。高価になると「音」がたくさん聞こえるようになりここぞとばかりに情報量の多さこそがそのまま高音質、上級、高級、高額であると思いこませようとする。

そこに大きな落とし穴がある。
音の良さは高解像度だけでは得られない。

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by bachcantata | 2018-09-15 08:55 | オーディオ