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TAD C600 VS アキュフェーズC2850

世の中には色々な価値観が存在しており、それらが一個の人生と様々に交錯する。それが生命体としてのヒトの生き様であるとも言える。

音楽は

生みだされ、
奏でられ、
鑑賞される。

どの過程でも感動させるエネルギーを持っている。もっとも感動するレベルの大きさは努力の量に反比例するのは周知の事実だ。つまり作曲が最も感動レベルが高く、音楽鑑賞は最も感動レベルが低いのだ。ただし、音楽鑑賞であっても日常生活においては充分に感動レベルが高い。平素いかに感動する事が少ないかが良くわかる点である。小学一年生なら、ひらがなを読むだけでも、それが上手く読めただけでも感動する事ができるにもかかわらず、歳をとってくると感動すること自体に鈍感になるのである。

オーディオ趣味においての楽しみの中心は「鑑賞の質の向上」であり、然るべくお金がかかるわけだが、その質において個人の特質が大いに影響される。抑圧された日々を送り、言いたい事が言えないような人が音楽を聴く場合、見た目がいくら温厚そうに見えても、かなり攻撃的な音質を好みそのようなサウンドをオーディオ機器で作り上げるに違いない。逆もまた然りであって、穏やかな日々を送り、気持ち良いコミュニケーションを家族友人と送っている人は、穏やかで優しい音質を作るだろう。



さて、おなじみのオーディオショップにフラッと立ち寄ると、前回のラックスマンのプリアンプは消え去り、TADの超弩級プリアンプTADC600がポンとおいてあった。まさにダースベーダー的というかSF的というか、その近未来都市のようなデザインは賛否両論あるだろうが、間違いなく欧米のハイエンドオーディオ機器を意識しまくりであることは火を見るよりも明らかである。

早速、備忘を兼ねて試聴記を綴る。比較対象はアキュフェーズプリアンプのC2850である。TAD–C600は300万円、C2850は130万円、価格差約2.3倍である。音量調節とどうでもよいソースセレクターだけの機能しかないプリアンプが、100万円でも十分異常であるが、300万円となると、もはや狂気の沙汰である。この300万円という価格も海外のハイエンドオーディオからすれば「まだまだ安い」となる訳であるから、この時点で金銭感覚がメチャメチャである。パリ協定なぞ、SDGsなぞクソ喰らえと言わんばかりの道楽の中心の成り金趣味である。

ちなみに、当方はご存知目下アキュフェーズ寄りの嗜好になっていることをここで示しておく。加えて、自分の嗜好を否定するほどの自虐性は皆無であることも追記しておく。これらの点を考慮され以下の試聴記を読んでいただきたい。

試聴したソースは全てクラシックである。モーツアルトのヴァイオリンソナタ、シューベルトの五重奏曲「ます」など。
スピーカーはB&W803d3、
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パワーアンプはアキュフェーズP7300、
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CDプレーヤーはTAD D1000MK2。
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TAD C600
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本体デザインとは裏腹にかなり自然体のサウンドイメージである。一音ずつはかなり明確で、スピーカーがB&W800シリーズであっても音が前に出てくる。プリアンプだけでここまで音が作り変えられるとは驚きである。

力が抜けた自然体の音で有りながらここぞと言うときにエネルギッシュであり音作りが巧みである。特にアキュフェーズと比べるとC600は音楽の盛り上がり部分の聴かせどころが本当にうまい。感情的な演奏の雰囲気がしっかり出てくるし、決して人工的で分析的にはならない。弱音の表現が単調な分、トゥッティではしっかりと力強い音が一歩前に出るように表現される。ジャズやポップス、ライブ録音などは最高だろう。クラシックでは時としてうるさく感じる時もある。

ソースによってはかなり眠たくなるような音で表現される。ピアノソロの部分では強弱、リズム感の表現が足らない故に、眠く感じる一方、オーケストラでは細かい音も必要十分に表現されるにもかかわらず、ひとまとまりの音楽としてもゆったり聴く事が出来る。この多様な表現力は凄まじく、300万円は伊達ではないようだ。

ときとしてアナログらしい土臭さすら感じる。有機的なサウンドイメージなのに、相当細かい音表現している。初々しさと成熟が同居した不思議な感じすら得た。ハイレゾソースをアナログレコードみたく聴きたいなら最高のプリアンプだろう。

ヴァイオリンの生々しさは群の抜いている。幾度もゾクゾクさせられたが、一方でピアノの音はなぜがとても単調である。この点は音量をかなり上げて再生すれば聴こえ方が変わるかもしれない。
高域中域低域の全域で部屋全体への音の広がりを感じる。音がしっかりと地に着いている。腰高には決してならない分、高域がこもって聞こえるような感じを受けるが、アキュフェーズに比べたらこちらの方が自然で生々しい。

リズムのハッキリした曲の場合はかなりパンチがあるような鳴り方をして楽しい。

スピーカーに対して、横方向の広がりよりむしろ前後方向の広がりが大きく、一音ずつ聴かせどころをクローズアップさせるような鳴り方。しかも音の分離もしっかり出来ており、けっして音の団子にはならない。


次にアキュフェーズ C2850
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人工的高解像度、TADで一定時間試聴した後に2850へ変更すると高域のモヤが晴れ、一音ずつの曇りやら霧が晴れたような感。写真なら無理矢理コントラストを上げたようなハッキリクッキリさせた音作りで、生々しいと言うより描きに描いた化粧美である。マッキントッシュのプリアンプは長年愛用したが、マッキンプリの油絵の線ような太いサウンドを、エッチングのような髪の毛の細さレベルまで細かくしてゆき、SNを妥協なく高めて行くと、このような音になるのではないかとすら思えてくるほどの「人工美」である。しかしマッキンは音楽が聴きやすいがアキュフェーズは音楽にはならない、音になるのである。音楽はリスナー側が持っていないと、つまりメロディーをよく知っていないと何を聞いているのか分からなくなるほどの膨大な量の「音数」が鳴り響く。

よって必然的に分析的な聴き方になり、一音ずつをひとまとめに聴くことが不可能なほど分離している。つまり音の団子とは正反対で、一音一音が完全に分離しパラパラであり、リスナー側で聴きたい音を選び、メロディを見つけないと、下手をすると背後に潜む、本来なら聴こえてはいけないピアノのペダルの音だけを始終聴き続けていたなんていうことすら起こりうる。それほど一音ずつの音の分離が異常なまでに明確である。

ピアノタッチの克明さは明白すぎなほどクリアーでコントラストが異常なまで高い。ピアノを弾く人間からすると「気味が悪くなる」ほどの高解像度によるピアノタッチが浮かび上がる。この音は自然ではなく絶対的に人工的で人為的である。

クレッシェンドではエネルギー不足を感じることが多い、曲では演奏者がかなり盛り上がっていても、何となく白けた鳴り方しか出来ない。トゥッティは全く迫って来ず、ただ鳴っているというエネルギーの無さである。笑いに例えると、極めて人工的な笑い方、ミロのビーナスの微笑み、プロフェッショナルモデルの笑い方であり、悪く言うと熱がなくかなり白々しい。良く言うと端正で優等生型。悪く言うと、感動まで数値化して白けさせる日本文化の事なかれ主義。この辺りは伝統的なアキュフェーズの音作りか。無味である分、人為的な明るめの音色作りが功を奏して眠たくなるような音で退屈させるように鳴らないところが2850の作り方の旨さ。

アナログらしい土臭さは皆無、常に一音ずつの分離感に集中させるような音作り。デジタル臭さは全く感じないが、エネルギッシュな表現は不可能のようで、流行り言葉で言えば、肉食系ではなく、草食系である。オンナを口説くのではなく、オンナに口説かれる音質(爆)である。この意味ではTADは肉食系でオンナを口説く音作りだ。

アキュフェーズC2850はTADに比べてかなり高域よりの音の広がり。腰高になる場合も多い。TADはしっかり地に足がついたサウンドであるが、2850は常に腰高であり、悪く言えばチャラチャラした感じになる場合すらある。しかしどう転がっても「絶対に眠い感じにならない、当たり外れがない音作り」である事はよく分かった。

ならばTADの圧勝かと言えばそうとは言い切れない。

アキュフェーズのボリュームにはAVAAと呼ばれる演算装置が使われており、それが相当円熟してきているのだろう、このブログでも何度も伝えているが小音量再生時はもとより、弱音時の表情が極めて豊かなのである。巷で言われているところの「静かなアンプ」なのである。パンチがある表現はかなり不得手だが、クラシックではその大半を占める「クレッシェンドからデクレッシェンドへ、またその逆」という音の強弱が、常に揺るぎなく素晴らしく表現されるのである。これはもうアキュフェーズプリアンプ部分、つまりAVAAシステムの圧勝である。音の強弱にともなうリズムのうねりも実に美しく表現する。この点からすればTADは50万円クラスのプリアンプと大差なく、これはどう聞いても大音量再生を前提に作られたに違いないし、そもそも専用のリスニングルームで音楽鑑賞だけをする貴族たちのツールなのだから、大音量再生だけを目標として問題ないに違いない。

しかし、仕事場兼、寝室兼、食堂兼、つまりSOHO兼(笑)リスニングルームである場合や、小音量再生を今後のメインテーマにしたい私などは、いくら大音量でいい音が聞こえても意味がない。大変疲れるし、全く思考を止められてしまい生活の効率が悪くなるだけでなく、そもそも音楽を読書やネットサーフィンや文章作成、作図や時には作曲のBGMとして使いたいので、私にとってもはや大音量、大型スピーカーは完全に昔日のものとなってしまった。確かに大音量や大型スピーカーはそれならではの感動がある。しかし「生活に役に立たない」ものは結局使わなくなり、一つでも多くのものを生活に溶け込ませる事が今の私には必要であって非日常的時間は惜しい。

AVAAの弱音の表現は特筆すべき点で、静かな演奏や音のダイナミクスの表現が圧倒的に良い。盛り上がりには欠ける分、弱音寄りの音作りなのかもしれない。深夜窓を開けひろげて集合住宅でも問題ないくらい小さな音で信じられないほどの厚みある音質を得る事が当面の目標なのである。


20畳以上のオーディオ専用室、そして大型スピーカーに大型パワーアンプ、専用の200V電源などが揃っているなら、間違いなくTAD C600がベストに違いない。

分相応のSOHOミニオーディオならC2850かあるいはプリメインアンプE600、プリアンプのC2420でも十分過ぎるだろう。
by bachcantata | 2016-11-11 22:13 | 試聴記

Mcintosh XRT後は、ソナスファベール・アマティとガルネリを使い分けてイタリアの風を嗜む。デジタルデトックス、軽薄短小にこだわる逆戻りレコード演奏家


by bachcantata