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アキュフェーズ&ラックスマン、プリアンプ比較試聴記

プリアンプ比較試聴なんて、いまどき、なんとまあ贅沢だなと思う。しかしオーディオ音楽の中でクリーン電源に続きプリアンプほどオーディオ一音一音に影響を与える装置はないと思う。当然上流ほどオーディオ音楽全体に影響を与える訳なのだが、プリアンプが作り出す音はかなり強力にオーディオ音楽を作り変えてしまう。

この辺りがわかってくるとオーディオも入門から晴れて初級レベルに到達したことを自覚し始め楽しさが出てくるのである。
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行きつけのオーディオ店に行って、久しぶりにアキュフェーズC2850プリアンプの試聴させてもらった。その際に、ラックスマンのコントロールアンプ(プリアンプ)C-900uも試聴する「ハメ」になった。「ハメ」とは言っても、アキュフェーズよりも知名度の点ではラックスマンは高いことは周知の事実だ。アキュフェーズはやはりまだまだマニアックである。
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アキュフェーズの音は、以前より何度もショップでの試聴で耳にして来たが、今回は試聴用リファレンススピーカーがすべてB&W803d3である事もあって、私にとっては現時点で極めて「自然に音楽が聴こえる」スピーカーなので、逆にアキュフェーズアンプの特長がよくわかるようになった。805d3を日々使っていると803や802のダブルウーハーを前にするとどうしても低域が重たく、時としてブーミーに聞こえてしまう。確かにダブルウーハーがもたらす音域全体への「厚み」や「膨らみ」の心地よさはもちろん認めるが、ツーウェイの805d3ユーザーとしては、いかに兄分の803d3とはいえ、低域が妙に重たい。なんとも耳のエージングは恐ろしいものだ。アマティーオマージュやXRTなどのダブルウーハー搭載スピーカーを使っていた時代にB&W800シリーズを聴くとなんとも味気ない薄い低域に幾度も面食らったが、いざ小型ツーウェイ805d3を毎日使うようになると、今度は極めて締まり淡白さえもある800シリーズのウーハー音が遅く重く感じるようになるとは、我ながら「慣れ」というのは恐ろしいものである。

まずアキュフェーズC2850。
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あれほどアンチアキュフェーズで、アンチB&Wだったのに、ここまで自分の耳が変わるとは、正直不思議だ。幼児期あのトマトのにおいだけでも嫌だったのに、今ではゴブゴブと水がわりにトマトジュースを何杯も飲んでいる。味覚は歳とともに変化するが、聴覚も「経験値」に基づいて変化していくのだろうか。これほど自分好みに聴こえるとはニヤついてくる(笑)。

C2850のもたらす音のニュアンス、強弱の「過剰な」表現、オーケストラとその前に立つソロヴァイオリンの分離感、すべてが極めて細い糸のようになり、それらが強固に編まれてゆく様子がよくわかる。またメロディが全く団子にならず、一拍一拍、そして演奏者の情感からくる「タメ感」が凄まじく、クレッシェンド、デクレッシェンド、そしてフェールマータの一つ一つが極めて鮮明に浮かび上がるところは鳥肌ものである。私も実際に弾くことができるムソルグスキー『組曲 展覧会の絵』を聴くと、その一音ずつの分離を、生演奏者が聴くそれ以上に克明に、揺るぎなく聞き分けることができる。これはもはや異常とも言えるSNの良さから来るのだろうが、今後ますますSNを上げてゆくだろうアキュフェーズ社の方針は果たしてどこまで人々に受け入れられ続けるのだろうか。

次にラックスマンのコントロールアンプC-900u。
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切り替えた瞬間に相当の変化が起きた。聴感上、音量がかなり減ったようだが、そうではない。抑揚が全くない(別の表現つまりアンチアキュフェーズからすると「不自然な人工的化粧がない」ともいえよう)から、一音ずつの分離感はほぼゼロ、しかし音楽全体を俯瞰、鳥瞰し、ひとまとまりにして聴かせる、実に良くも悪くも往年のファンを喜ばせるラックストーンである。私にすれば、なんともじつに懐かしい音の塊であって、私担当の営業マンM氏の言通り、「フルレンジスピーカーのような音」である。達観した音全体を一つのかたまりで聴かせるのは、別にセパレートアンプでなくてもプリメインアンプでも十分と思えてくる。
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私も以前ユーザーだったが、タンノイサウンドにマッチしそうな、豊潤なサウンドであり、目の前の803d3と私の間に磨りガラスが入ったような感じになる。クリアーさはなくなり、分析的、高解像度的からかけ離れた、非常に聴きやすい「音楽」が聞こえてくる。この点、以前の私なら、「そうだよ!音楽を聞かないといけない、スピーカーも楽器みたく響かせて音色を楽しまないと。アンプも然るべき音楽を演出できないといけない」と信じていたし、またその信念!?に基づいて、スピーカーやアンプ類を選び続けていた。

なんといっても驚いたのは、このラックスマンC-900uが私が日々使うパッシブアテネッターと音質傾向が似ているところだ。そうなると、ソースにより忠実なのはC2850よりも、どう考えてもC-900uとなる。なぜならば、パッシブアテネッターは何も足さない何も引かないという点では類がないからだ。ただし、いかにラックスとパッシブアテネッターの両者の音質傾向が似ていても、ラックスの方がより温もりと豊潤なサウンドを響かせてくれる。アテネッターはその意味だと少々淡白だ。

C-900uが100万円ならば、私のアテネッターとの価格差は5倍程度あるが、正直どう考えても、その音の違いは5倍の価格差を感じない。ラックスファンには申し訳ないが、このC-900uを買うなら、5分の1の価格で、パッシブボリュームを導入されることをお勧めしたい。なぜならば、本当にかなり似通った音質傾向だからである。C2850が130万円なら、C-900uは頑張ってせいぜい3、40万円程度だろう。とても100万円の造りではないし、以前の、そう20年近く前のラックスマンアンプのあの重厚なデザインなら100万円以上出せただろうが、現行モデルの簡易なデザインは、ニトリの家具とユニクロのパーカーとのセットでもお似合いのチープさがある。しかしアキュフェーズなら、、、う〜む、パッシブボリュームと5倍の差があるかどうかは判断に苦しいが、少なくとも3倍以上の差は感じる。

800d3シリーズの音楽再生能力は高いと思う。一音ずつの強弱が克明で、私が長年感じていた「ケプラー臭さ」は皆無、それも当然で、新開発のコンティニュアムコーン搭載の成果は個人的には破壊的なまでに強力な魅力となった。

C-900uコントロールアンプが作り出すプリアンプの音は、803d3をあたかもフルレンジスピーカーみたくゆったりと、自然にかつ、まるで印象派絵画のように暖かく鳴らす。

一方のC2850は、ほぼ対極的である。同じ803d3が1950年代からいきなり2016年にバックインタイムである。高解像度で、しかも高SNであることから、消えゆるような弱音やオーケストラ内の小型楽器、トライアングルやピッコロなどの音色がトゥッティ中であっても、「気味が悪いほど」クリアーに浮かび上がり、むしろ音楽全体をゆったりと聴くことを真っ向から否定してくるような、リチャードエステスのような、超写実主義的ともいうべき「人工美」の結晶である。

平素805d3で音楽を聴く際にも注意していることなのだが、SNをほどよく落として、上手にコントロールするようにしないと、気がつけばデリケートで、まるで金平糖だけで作り上げた高さ10メートルのピラミッドを至近距離で鑑賞するみたく、「息を止めて鑑賞せざるを得ない」ようなクリティカルなセッティングになってしまうのだ。


最初からリラックス音楽鑑賞を可能にする「ラックスマン」。苦労して高解像度をうまく崩しつつ自分好みのリラックスを創出しなければならない「アキュフェーズ」。

日本のオーディオメーカー。

30年後には、一体どうなっているのだろうか。ラックスマンとアキュフェーズは両者とも何としても生き残ってほしいものだ。
by bachcantata | 2016-10-18 15:55 | オーディオ

Mcintosh XRT後は、ソナスファベール・アマティとガルネリを使い分けてイタリアの風を嗜む。デジタルデトックス、軽薄短小にこだわる逆戻りレコード演奏家


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